2017年7月12日水曜日

毒親問題を解決する ~宗教関係なく、すべての親はダメ親である~




 7月に入って、毎日新聞で「毒親」について女優の渡辺えりさんが回答したこともあって、ネット界隈では



「毒親問題」





がちょっとした関心を集めるようになっているようです。





 (参考)


■【毒親】何か気に入らないことがあるとすぐ寝込む母について19歳女性が相談
https://togetter.com/li/1126714




その前後にも、毒親関連の記事はちょくちょく話題になっていて、



■まさか自分が・・・多くの親に潜む「毒親」の兆候

http://toyokeizai.net/articles/-/172443



■両親ともに毒親 父親から「虚言癖」と言われたことがトラウマに

http://blogos.com/article/220918/



■もしかして私も?「毒親予備軍」の特徴とチェックポイント


http://ure.pia.co.jp/articles/-/74581



など、この春頃から記事になっているものがたくさんあります。





 ちなみに、このブログは特定の宗教についてスポットを当てていますが、


「毒親であるかどうかは、宗教とは関係ない」




とも言えるし、



「宗教のせいで毒親になるわけでもない」



ということは、把握しておいて良いと思います。


 それよりもむしろ


「もともと毒親であったものが、宗教のせいでよりひどく発現してしまう」





ことはあり得るでしょう。 教義でこうなっているので、私は正しいのだという動機づけがなされるからです。





 当事者として、この問題にどのような解決を得ればいいかは、最終的には人それぞれですが、




ひびわれたまご さんのブログ

http://blog.shinoegg.com/entry/2017/07/11/224141




などは参考になるかもしれません。





 この記事では



段階1  親に無条件で受け入れて欲しいと願っている希望


 

段階2  それがかなわないのは自分のせいであると考えてしまう過ち


段階3  あるいは親がすべて悪いと考えて拒絶すること


段階4  親に完璧さを求めず、それぞれが別個の人間であると理解する


段階5  実は「親が好きか嫌いか」とか「親が正しいか間違っているかとは、次元が離れているのではないか、と気付く




 といういくつかのステップについても触れられているので、それぞれの立場で共感を得やすいかもしれません。






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 さて、両親がJWの信者であり、自身は元2世で、かつ今となっては子供を持つ親である武庫川の考えは、これらすべてを包括したものとなっています。




 まず、親の立場で考えてみましょう。




「親はすべてにおいて完璧な指導者、保護者であるべきであり、そうでないものは親にはなれない」



という理想像があるとして、この理想にあてはまる人間はおそらく誰もいないと思います。



 イエスのたとえではありませんが



「この中で、親としてふさわしいものだけが、親になってよい」



と言うならば、その場の全員が立ち去ることになるかもしれません。




 ところが、この理想像は間違いで、「親としての資質を備えていなくても、妊娠と出産が可能」なようにすべての生き物は作られているわけです。



 ひどい場合には、「父親が誰であるかわからなくても妊娠が可能」であることを考えれば、親である資質や資格なんてものは、



 机上の空論である




とまで言っても過言ではありません。



(もし、資質がなければ産んではいけないなら、レイプのよって妊娠した子は全員堕胎させられねばならなくなってしまいます。それは変です)





 つまり、何度もいいますが、




「親であることは、資格や資質と結びついたものではなく、それが保証もされていなければ、確約もされていない」





ことが大前提なのです。






 そうすると、すべての親は誰しもはじめて親になるのですから、



「親ではなかったものが親であろうと頑張っているだけで、結果が伴うかどうかはわからない」



ということになります。




 そう、すべての親はダメ親である、ということからスタートするのです。





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 ここまでは、親サイドからの考え方でした。




 しかし、子供のうけとめ方は異なります。



「唯一絶対の存在である親に対しては、庇護してほしい」




と願うことは、これまた当然です。



 そして、「親の庇護の方法が、少なくとも小さい間には、それしかない唯一の知りえる存在である」ということも、実態としては当然なのです。






 厳密には、これは「核家族化された資本主義社会において起きる問題点」であって、人類共通の問題点ではありません。




  世界中のヒトの生活実態を見れば、ヒトは多くの国や地域でもう少し部族・氏族集団で生活をするので、



「親代わりに相当する大人や親族が廻りにたくさんおり、それらの中で相対的に親が存在する」



というスタイルのほうが、一般的です。




 父と母と子の閉ざされた集団で完結する枠組みで考えるから、両親が機能不全であればバックアップがまったくなくなるのであって、ヒトの本来の生活スタイルでは、



「毒親は存在しても、子に客観的な立場と逃げ場はたくさんある」




といえるでしょう。



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 残念ながら、毒親しか存在しない環境で閉鎖されて育ってしまった人は、某北の国で生まれ育って、そのほかの国を知らないで餓死した人のようなもので、


「自分の親がおかしいと気付かず、育ってしまう」



ことになります。


 なので、気付く以前のことは、某北の国とおなじでどうにもならないので、



 「気付いた後をどう生きるか」




しかありません。




 では、某北の国と同じなのであれば、できることはひとつです。


 それは、「脱親(離れる)」こと。


 新しい価値観の元で生きていくことです。




 脱Jの上に、脱親だなんて、エホバの証人の2世は、2度苦しむことになるのですね。



 

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