2017年12月27日水曜日

エホバに逢わせてあげましょう 〜あなたが信じていた神は、こんな姿をしているのです〜



 2017年もそろそろおしまい、ということで、新年からは新しい人生を過ごそうと決意しておられる方も多いことでしょう。


 今年は、このブログもあまり更新できなかったので、2018年はもう少し有益な記事を増やしていけたらなあ、と思っています。



 さて、タイトルどおり「さよならエホバ」ということで、今年の締めくくりは、



 エホバに会っておこう!



というマニアックな内容でお届けします。


 エホバの証人を辞めた、あるいは辞めようとしている辞めJさんには、せっかくですのであなたが全知全能の神として心底崇拝していた神様が、いったいどんな姿をしているのか、というお話にはとても興味があることと存じます。



 というわけで、エホバにかつて最も近かったとされる古代の中東地方の人たちが、



「エホバはこんな姿をしているよ」



と描いた像がありますので、紹介しておく次第です。







じゃん!


↑これがエホバを描いた、もしかすると唯一かもしれない絵です。



 この絵そのものはウィキペディアにも載っている有名なものですが、ウィキペディアの解説では、多少わかりにくいところがあるので、補足しながら読み解いていくことにしましょう。


(出典 ウィキペディア”ヤハウェ項” https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%A7



  シナイ半島のクンティレット・アジュルド遺跡からみつかった土器(ピトス)に描かれていたこの絵がなぜエホバであるとわかったかというと、実は中央の2体の謎の人物の上部に



「サマリアのヤハウェとアシェラにより私はあなたを祝福する」


と記入してあったからです。


 ただし、この文字が、直接的に2体の人物を指して「こっちがヤハウェ、こっちがアシェラ」と明示しているわけではないので、ウィキペディアでもどれがヤハウェなのかはっきり書いていない、ということが起きているのです。



 この絵を全体的に見て、気づくことがあります。


1)左に牛の親子が描かれている

2)中央に2体の人物が描かれている

3)右に椅子に座った人物が描かれている



 研究者たちの間でも、どれがヤハウェでどれがアシェラなのかは説が分かれるようで、


中央の二人組がヤハウェとアシェラのセットだ

という者もいれば、

左端の牛はヤハウェを象徴している

という者もいます。


  また、椅子に座った人物が「リラ(たてごと)」を弾いているので、


これは音楽に合わせて神が踊っている


と解釈し、古代エジプトの「ベス神」と一体化していると考える者もいるとのことです。


 ベス神は、舞踊と戦闘の神で、羊と羊飼いの守護神です。なるほどエホバっぽい要素を持っていることもわかりますが、その姿は



「頭がでかくて短足で大口で舌を出している」


姿でエジプトでは描かれたというのです。


 たしかに、中央の二人組は、頭がでかくて短足です。



 ちなみに、アシェラというのは、もともとは「エル」の奥さんの神です。それがエルとエホバが混同されはじめたため、


「エホバの妻は当然アシェラである」


と古代ヘブライ人たちにも考えられたのですね。


(ちなみに、エルとバアルの混同も起きたため、アシェラはバアルの妻でもあるわけです)




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 さて、この論考の元ネタはMiksさんのブログ記事が出典なので、もっと詳しく知りたい人はぜひそちらも読んでほしいものです。


アシェラとは何だったのか
http://miksil.blog.so-net.ne.jp/2010-02-03




〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 今日のお話で、エホバは頭でっかちの短足の牛もしくは異形のものであることがわかりました。


 彼のために一生を捧げようと思っていた方には、かなりショックだったかもしれませんが、今日のお話から学んでほしいことは実はそこではありません。



 古代ヘブライ人たちは、あのモーセを激怒させた


「金の子牛」


も「これがエホバだ」と言ったし、エジプトの神ですら「これもエホバだ」と考えていたわけです。

エルもバアルも「全部この際エホバだ」と考えていました。



 終始そんな感じだったので、結果的には王国は滅びてしまうわけですが、懸命なる読者諸君にとってはひとつの自然な疑問が湧いてくると思います。



「え?じゃあ、ほんもののエホバはどれなの?」



と。


 その疑問が出てくることを予想した人物が、実はたくさんいました。それが聖書の記述者たちで、彼らはほぼそれぞれの時代の


「神殿の神官」


だったわけですが、 彼らは中東地方にたくさん存在していた神々の物語を時には合体させたり、時には排除したりしながら



「自分たちの理想像に近いエホバ像」



を著述していった、というわけです。




そのあたりは



さよならエホバ ~心が安らかになりたいあなたのために・エホバの証人から離れる方法~: 【エホバの証人を辞めたあなたのために 4】 唯一絶対神に従わないとマズかった理由は?  http://goodbye-jw.blogspot.com/2016/05/blog-post_70.html


の概出記事をご参照ください。




 結局のところ、エホバは牛であり、頭がでかい短足妖怪であり、そして、全知全能で妬む嫉む神になってしまったわけですが、それらはすべて



「人間が、著述し、考え、想像した神」



 に過ぎません。その時代やその場所、その民族によって、自分たちに都合がよかったり、彼らが信じたいと思った姿で信仰されてきたにすぎない存在だったのです。



 なので、エホバの証人のそれぞれの信仰者が思い描くエホバ像も、好き勝手なものになりがちなのです。


 多くの信者は、自分だけは救ってくれる神として都合よく解釈していますが、そもそもエホバはそういう存在なのですから、仕方ないのかもしれません。




 しかし、そんなイメージの塊のような神に、あなたを救う真の力はあるのでしょうか?



 来年があなたにとって幸せな一年であるように、と心から思います。