2019年12月26日木曜日

エホバの証人と貧困層 ~神の世界では選ばれたかもしれないが・・・・・・~



 このブログの書き手は、中学生の頃には信仰を失っていて、またそれを表明して過ごしてきたため、いわゆる「世の人」として人生の大半を生きています。


 そのおかげで、一般社会における生活は、まあまあ普通の人として不自由なく暮らしているわけですが、SNSなどで現役信者さんや、あるいは、エホバの証人を辞めた方たちの言説を見ていると、いろいろな問題や苦悩を抱えながら暮らしている人が多いように感じます。


 もちろん、私や私をとりまく家族の間で、宗教によって大きな被害がなかったか、と言われればそんなことはないのですが、



(そのあたりの経緯は、


ワッチタワー ~オカンと僕とそれからエホバ~
https://note.com/mukogawa_sanpo/n/n1fa9685cf3cc


という物語に書いています。むちゃくちゃ家庭崩壊してるやんけ!とツッコまれるかもしれませんが(^^;;

 一部有料ですが、いろんな弱者救済の活動資金にいたしますので、それでもよければ)




肝心なことは、大変な状況を経験したとしても



 私が、それをちっとも大変だと思っていない


という事実です。 このあっけらかんとしたところが、私が幸せな理由の一つではないかとも思っています。




~~~~~~~~~~






 さて、ちょうど今、ツイッターの機能をつかって、エホバの証人を辞めた方や、辞めようと思っている方へのアンケートを実施しています。

https://twitter.com/mukogawa_sanpo/status/1210085323599826944


Q エホバの証人を辞めた、あるいは脱会を迷っている人で、これに一番困っているということを教えてください。 

A 教義に背いたことや、神・聖書に対する畏怖心や罪悪感

B 信仰を続けている親や元会衆メンバーとの人間関係

C 教義やムチ・虐待による精神的ダメージや心理的な疾病

D 俗世と離れていたがゆえの経済的弱さや自活のしにくさ



 この4つの設問で、実際にどんな問題が重要視されているのかを考えたいわけですが、今の段階ではまだ、お答えを募集しているところですので、みなさんの傾向を分析するのはのちほど、ということにしたいと思います。



 じゃあ、今日のこの記事ではいったい何をするのか、と言えば、 私はとくに何かを参考にして4つの選択肢を作ったわけではないのに、とある別のお話とこの4つの設問が奇妙に符合することに気付いたのです。


 そのお話をしてみようと思います。



 なぜ社会の底辺にいる人は見えないのか
 https://toyokeizai.net/articles/-/318615



 その別のお話というのは、リンク先の記事にも書かれているような、現在のイギリスの階級格差についてのことです。


 今、イギリスでは7つの階級が存在して、それぞれの格差が社会問題を如実に現している、ということが話題になっています。


 日本はまだ、階級社会ではないものの、それに近いような「格差」が生じ始めていることは、 みなさんもご存知のことでしょう。


 
  では、その格差はいったい何によって生じるのか。ただ単純にお金持ちであるかどうか、というわけではありません。



 それは、「引きこもりで無職だけれども、親が大量の不動産を持っていて、何もしなくても生きていける人」を想定すればわかります。彼は社会階層において、上級とはいえないのは、お金だけが指標ではないからですね。



 そこで、社会学者さんたちは、「人」が社会においてどのように位置づけられるかの指標として、次の3つのものを用いるようになってきました。


■ 経済資本

■ 文化資本

■ 社会関係資本


です。


 経済資本は一番分かりやすいお金の話です。貯蓄資産としてのお金もそうだし、次々に入ってくるフロー資産としてのお金も大事ですね。

 文化資本は文化的素養・その社会における教養・学歴・資格・振る舞いや習慣など、文化的に身についている資本を示します。

 社会関係資本は、コミュニティや信頼関係、共同体、人的ネットワークなどです。地域のつながりや親類づきあいなども当然含まれます。




 ここまで読んで「はっ」とした方は、かなり鋭いと思います。わたしも驚きました。


 先ほど私が挙げた4つの質問と、上の3つの資本の話はかなりリンクしているからです。


まず

B の親との関係や、会衆との関係は「社会関係資本」の話だとわかります。

C の健康問題は、3つの資本にはないですが「健康資本」と読み替えてもよいでしょう。

D の経済問題は、そのまま「経済資本」の話です。


そして、

A の教義における罪悪感などは、「一般的な教養の足りなさ」から生じるマインドコントロールの一種です。




 イギリスにおける7つの階級において、「経済資本」「文化資本」「社会関係資本」の3つが不足している層は、まさしく階級の最底辺を意味します。


 お金がなく、学歴や文化的素養がなく、助けてくれるコミュニティや人の関係性が薄い


ということが最底辺につながるわけです。



 これを念頭に置くと、実は宗教に囚われている人というのは、


■ 宗教コミュニティという中にいる限りは気付かないが


■ 一般社会においては、経済的にも文化的にも、人間関係的にもすべてを失っている人たち


であることがはっきりしてきたわけです。



 逆説的には「では、宗教コミュニティの中にいれば安泰か」ということが当然考えとしては浮かぶのですが、実際には



■ そのコミュニティは偽装された幻想のようなもので、実体が乏しい



というのが現実なのではないでしょうか。 



 少なくとも、宗教機能がきちんと動いている組織かそうでないかは、上の3つに当てはめれば答えが自然に出ます。


 たとえば


■ その宗教コミュニティに属している者は、組織からの経済的支えがあるかどうか。

■ その宗教コミュニティは、文化的資本を支援してくれるか

■ その宗教コミュニティは、人的ネットワークを構築しているか



という観点です。


 こうしてみると、出家すると托鉢で食べていける旧来仏教なんかは、システムとして成立していることがわかります。

 お寺や神社が、檀家制度や寄付寄進で成立することも大事なわけです。

 キリスト教会の一部が、炊き出しをしたりすることも、重要なのです。

 あるいは、創価大学や、PL学園のように、宗教が教育施設を運営することも理にかなっているといえるでしょう。

 創価学会などは、内部のネットワークだけでなく、選挙を通じて政治や一般社会とのネットワークを構築しようとしていますから、だからこそ宗教システムとしては大きくなってゆくのです。




 こうしてみると、かつてのように特開者に金銭的支援を出していた時代ならともかく、現在のエホバの証人の組織は、すでに宗教システムとしても崩壊しているといえます。高等教育の否定などは、自滅への加速装置だったとわかりますね。




 信者は



「経済資本・文化資本・社会関係資本」



を全て失うように、おのずと仕向けられているわけです。




~~~~~~~~~~


 教義の上では「神に選ばれた選民」として、優越感をもたされているかもしれませんが、その実態は社会学でも明確に定義された


 最底辺の人たち


に相当するわけですから、一刻も早くそこから脱する必要がある、というのが論理的に明解な答えだと思います。


 これから、辞めた人たちにとってはその状況から少しずつ元の生活に戻る、という環境を変えるきっかけや支援が必要になることは言うまでもありません。







2019年3月8日金曜日

毒親に育てられた子と宗教2世が幸せになる方法。



 世の中には、俗世を渡ってゆくための指針やヒントとなる情報がたくさん溢れているのですが、私が


「この人の著作を読んでおけば、きっと役に立つ」


と思っている日本人著述家の一人に橘玲さんという方がいます。


 この方の書いた「言ってはいけない」「続・言ってはいけない」(新潮新書)あたりは、いわゆる俗世でもヒットしてファンがたくさんいますが、エホバの証人だった人が読むと、また違った感覚になって面白いと思います。


 橘玲さんの著作の最近の特徴は、

 
「一般的な常識や、当たり前と思われていることと、実はこの世界の現実やデータにはズレがある」


ということをある程度明確に示すスタイルです。そして、その提示される出来事には、


「かならず、客観的な証拠(エビデンス)が同時に提示される」


ということを心がけておられます。



 これは、いわゆる「宗教」によってもたらされるこの世界の「真理」のようなものに対して、強力な反論・反証になります。



 ただ、橘さんの著作は、そのデータが客観的ゆえに、独特な「冷徹さ」もありますので、それが嫌いだというセンチメンタルな人もいることは否めません。しかし、感情的なものよりも、時には証拠は厳しい答えをつきつけることもあるでしょう。




~~~~~~~~~~




 私は、ある意味においては神を信じ、信頼しています。

 とはいえ、また別の意味においては、無神論者のような言動もとるでしょう。



 一見矛盾するかのような話にみえるかもしれませんが、とても簡単で、かつとても冷徹な思考がそこにはあります。



 たとえば、こんな例はいかがでしょう。私達の住むセカイの神は、



「生き物同士が殺しあうことは許可するが、ヒトと猿の間に子ができることは許可しない」



ということを徹底的にルール化しています。


 私達の通常の感覚からすれば、ヒトとネコの間に子ができることよりも、「ヒトが殺しあうこと」のほうがより重要で、ダメなことのように感じます。


 しかし、神は殺し合いを許すのに、ヒトとネコのこどもは許さないし、ヒトと犬もダメだし、ヒトと猿の間ですら、子を作ることを許さないのです。



 神は、このように「善悪、やっていいこととダメなこと」の基準が、ヒトが思っているのとは随分ズレている存在だということかもしれません。


 しかし、神の定めたこのルールブックは、とても厳格で厳密で、破られることがありません。


 わたしは、この絶対的なルールを作った神を「とても面白い存在だなあ」と思っています。





~~~~~~~~~~



 橘さんの著作は、これと同じように


「人類にとっては、異種間生殖よりも殺人のほうが、はるかに安易に許されている」


という証拠、エビデンスをつきつけますので、「人を殺すのなんてダメだわ!」と感情的になる人には、向いていません。


 そう!目を背けたくなるような、データがつきつけられる、ということなのです。





 さて、いよいよ今日の話の本題です。



 橘さんの新作である『人生は攻略できる』のあとがきが、出版社の許可を得て公開されていますが、実はここに


「毒親持ちと宗教2世が幸せになる方法」


がズバリ書かれていました。なので、私もぜひ紹介したいと思ったのです。



 しかし、橘さんの本ですから、目を背けたい人には、冷徹で不寛容に感じられる表現も多々あります。でも同時に、それには証拠もある、ということも覚えておいてほしい事柄です。




 幸福に生きるためのヒント (人生は攻略できる) 橘玲
 https://www.tachibana-akira.com/2019/03/11519




 詳細はリンク先を参照ください。ここでは簡単にまとめます。




A


◆ 人間には幸福度が一定になるような反発力がある。

◆ なので不幸になった人も、ある程度期間が過ぎれば幸福感を取り戻せる。

◆ 逆に、幸福になった人も、やがて幸福感を感じなくなる。


→ 人は幸福の水準を持っていて、それは何があっても変わらない。





B


◆ 人間には100倍の法則がある。

◆ やったことは100分の1にしか感じず、やられたことは100倍に感じられるというもの。
 
◆ 加害と被害にはその受け止め方の非対称性があるので、だからセカイには紛争が絶えない。


→ 何か困ったことがあれば友達に相談したり、場所や環境を変えるなど「客観的な視点」を取り入れて考え直してみよう。





 いくつかの話の中に出てくる、AとBの二つの話が、毒親持ちと宗教2世に関わる部分です。



 まずはAについて。


 毒親持ちと宗教2世は、生まれた時からそれぞれの親や特殊な環境で育っているため



「幸福の水準」がすでに定まっている



ことがほとんどです。 だから、外の社会に飛び出したり、親の支配を離れて新しい生活をしようと思っても、すぐにはいわゆる


「ほかの人たちの言う幸せ」


 がよくわからないし、それに向かって頑張るということもよくわからないままで過ごします。



 だから社会とのズレを抱えたままで、幸せになるということそのものが、いまいち理解できないまま悶々と日々を過ごしているのではないでしょうか?




 そしてBです。



 毒親持ちと宗教2世は、親から受けた被害や「してもらえなかったこと・されたこと」を100倍に過大評価します。



  ですから、他者と話をしても「それくらいのこと!」と簡単に受け流されて、たいへんに苦しかったり悔しい思いをしますが、それは



 永遠に他者には理解してもらえません。なんせ100倍に倍増しているから



です。


 この「自分は理解してもらえない」とか「他人にはどうせわからない」とか「宗教2世以外には理解されない」といった感覚を持ち続けると、それは身を滅ぼすということです。


 その感覚が、100倍に膨れ上がっているかもしれないと、まずは冷静になること


 から始めないと、永遠にあなたは理解されず、永遠に幸せなんてやってこないことになるのです。


 これはとても恐ろしいことです。





~~~~~~~~~~




 AとBはものすごくみなさんには都合の悪い話だと思います。


 自分は大変な目に遭った!


と誰もが思っているし、


そもそも知っている幸せのレベルが低い


と言われたら憤慨してしまうことでしょう。



 しかし、実際に結果的に幸せになる人、幸せを掴む人というのは、そんな過去を笑い飛ばし、新しい幸せの基準を手に入れていることになります。



 このギャップを埋めるのは、正直しんどいことだと私も同感します。



  しかし、橘さんの文章をよく読むと、いくつかの解決法も提示されていることがわかります。その解決法は



◆  出来事の体験を積み上げる。印象的な体験をたくさん積み上げることで、脳は美化された記憶をたくさん作り出す。

◆ ちょっとぐらい嫌な体験でも、それも復元力によって美化されるので、恐れず体験を増やす。



ことがその一つ目です。



 二つ目は、


◆ 物理的な場所を離す。(旅に出る、引っ越す、親から離れる)


◆ 客観的で、利害関係のない友人などに相談する。(おなじ境遇の人と相談する場合は、被害感情が増幅する恐れがあることを理解しておく)


ということです。




 毒親育ちや宗教2世が、このセカイで幸せに暮らしている人は、これらがきちんと身についていることが多いように感じます。





 繰り返しますが、大切なのは



「新しい体験、新しい経験をどんどん外に出てやってみること」


「自分の過去の体験をそれは他人にとっては(あるいは自分にとっても)100分の1程度のことだった、と過大評価しないようにすること」



の2つです。



 ご参考になさってください。