2018年7月27日金曜日

カモンベイビーアメリカ U.S.Aとエホバの証人 ~80年代のハイソ会衆の思い出と考察~




  この世のものにはあまり興味がない方も多いかもしれませんが、DA PUMPの「U.S.A」という楽曲が流行していることはご存知でしょうか?



 もちろん、このブログのメインテーマである「さよならエホバ」に直接は関係ないのですが、先日テレビで放映されていたこの「U.S.A」を観ながら、あるいは



 カモンベイビーアメリカ!



と歌いながら(笑)、思い出したことがあるのです。



 それは、


「ああ、80年代のエホバの証人はアメリカナイズされた、まさにカモンベイビーアメリカだったのだな」



ということです。


 U.S.Aがヒットしていることは、日本人の中にかつてあったアメリカ社会への憧れと、そうした機運があったことへの郷愁が入り混じりながら、恥ずかしいような懐かしいような、そういう複雑な感情が呼び戻されることにもあるのでしょうが、この2018年になって振り返ってみると



あの頃のエホバの証人とはなんだったのか



を思い起こさずにはいられないのです。そこで、少しだけ昔話をすることにしましょう。




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 私が、いや、正確には私の母が所属していた80年代の会衆は、「ハイソな人たち」の集りであったように思います。



■ 未信者の夫が公務員やそこそこ大きな企業に勤めており、専業主婦である妻が姉妹。

■ 持ち家比率は高くないが、官舎公舎あるいは団地住まい。

■ 健康志向、無農薬、いまでいうロハス的な生き方への傾倒

■ 家族や友人間に流れるリベラル感覚

■ 穏やかもしくは優等生的な子供たち(2世)



 会衆の構成員にこうした人たちが多く、また会衆全体の雰囲気も、上記のようなハイソサエティ感がそこはかとなく漂っている、という感じでした。




 そして、かならずしも「エホバの証人」とは関係があったり領域が重なるわけではないのですが、タッパーウエアやアムウェイ・エイボン化粧品などの「ホームパーティ商法型マルチ」に関心があったり、あるいはそうした活動に絡んでいた人もおり、



「アメリカナイズされた、リベラル型のホームパーティ商法の宗教版」



がエホバの証人だったのではないか?と思わずにはいられないほどです。




 私は関西でしたので、ここに灘神戸生協のコープ活動も加えてもいいでしょう。



 『コープ商品やタッパーウエアなどの先進的・健康的な生活用品があって、子供はレゴで遊んでいて、旦那はいいとこの会社員、奥様は専業主婦で奉仕活動』


というのが、この80年代ハイソエホバの典型的なスタイルです。






 そもそも、信者が増えてゆく過程も、ホームパーティ型でしたから、



「うちにいいものがあるのよ!一度遊びにいらっしゃらない?」



というマルチ系のノリに似ていて、そのとっかかりが別に信仰ではなく、どこかで見つけてきた「良いもの」を教えあう中で、個人研究が始まってゆくというスタイルも多かったように思います。





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 今から思えば、現代のように女性の社会進出や貢献がまだまだ進んではおらず、当時としてはいわゆる


「妻としても女性としても意識高い系だった妻たちが、一種の社会貢献・社会奉仕として伝道活動にのめりこんでゆく」



という側面があったことがわかります。コープ活動や、エイボン化粧品などの女性の活動・活躍と親和性が高かったのもそうした側面があったからでしょう。




 ちなみに、私個人は、その後とある田舎に引っ越したりしたので、ハイソではないスタイルのエホバの証人も知っているのですが、仮に生活水準が高くないとしても、基本的な傾向は似ていた部分があるのかもしれません。



 夫はリベラルなため、別段反対もされないし、穏やかで誠実、健康的で文化的なことが好きな人たちの集まりであったため、生活ランクはともかく、専業主婦が活動する上では、特段障害やトラブルになることは少なかった、ということはあったと思われます。





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 80年代エホバの特徴は、そのアメリカ型志向にあります。


 ライフスタイルそのものが、「アメリカの敬虔なよき家庭」をモチーフにしていることからもわかるように、エホバの証人とは、


「よきアメリカ人のような、文化的でかつ敬虔なる生き方」



を体現するものでした。


 しかし、同時に、その思想もまた80年代アメリカですから、必要以上に「北の王」つまり共産圏とソビエトを脅威としてみなしていた言説が多かったことを思い出すことでしょう。



 80年代アメリカにおけるハルマゲドンとは、一般のアメリカ人が畏怖していた米ソ冷戦による突発的な核戦争の脅威そのものでした。



 エホバの証人の教義では、核戦争がハルマゲドンであるという明示はありませんでしたが、特に「北の王ことソビエトの動向を注目していれば、しるしが見えるのではないか」という思想は明確にあったように思います。




 そうした意味では、特に宇宙開発でソビエトがアメリカを凌いでいた頃の「負けてはいられない」イメージからか、「高等教育を受けて、勉強して賢くなること」については、全く否定されず、むしろ推奨されていた記憶があります。





 80年代、エホバの証人の海老名ベテルで印刷された新世界訳聖書のコンパクト版は、聖書としては世界一の薄さで、その技術力を誇ったものでした。


 技術力や智恵は神のみわざである


というイメージが、その時代には確かにあったのです。これもまた80年代アメリカの雰囲気を伝えるものだったことでしょう。





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 現役の方にはあまり伝わらないかもしれませんが、この「ハイソなエホバ」の思い出をツイッターで書いたところ、思わぬ多くの反響を頂き、驚きました。



 つまり、エホバの証人の中にも、この時代やこうした会衆の雰囲気を知っている人たちと、そうではない人たちがいる、ということなのです。



 
 ここには、残念ながら大きな差があるのかもしれません。



 しかし、こうして振り返ってみると、やはりあの頃のエホバの証人の生き様は




 カモンベイビーアメリカ



だったのだな、と思わずにはいられません。



 2000年代になり、アメリカも変わり、日本も変わってしまいました。


 そうしたことが、かつてのような古き良きエホバの証人(←語弊のある言い方ですが)を維持できなくなっている原因なのでしょうか。



  すこし、残念な気持ちになることも事実です。