2019年3月8日金曜日
毒親に育てられた子と宗教2世が幸せになる方法。
世の中には、俗世を渡ってゆくための指針やヒントとなる情報がたくさん溢れているのですが、私が
「この人の著作を読んでおけば、きっと役に立つ」
と思っている日本人著述家の一人に橘玲さんという方がいます。
この方の書いた「言ってはいけない」「続・言ってはいけない」(新潮新書)あたりは、いわゆる俗世でもヒットしてファンがたくさんいますが、エホバの証人だった人が読むと、また違った感覚になって面白いと思います。
橘玲さんの著作の最近の特徴は、
「一般的な常識や、当たり前と思われていることと、実はこの世界の現実やデータにはズレがある」
ということをある程度明確に示すスタイルです。そして、その提示される出来事には、
「かならず、客観的な証拠(エビデンス)が同時に提示される」
ということを心がけておられます。
これは、いわゆる「宗教」によってもたらされるこの世界の「真理」のようなものに対して、強力な反論・反証になります。
ただ、橘さんの著作は、そのデータが客観的ゆえに、独特な「冷徹さ」もありますので、それが嫌いだというセンチメンタルな人もいることは否めません。しかし、感情的なものよりも、時には証拠は厳しい答えをつきつけることもあるでしょう。
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私は、ある意味においては神を信じ、信頼しています。
とはいえ、また別の意味においては、無神論者のような言動もとるでしょう。
一見矛盾するかのような話にみえるかもしれませんが、とても簡単で、かつとても冷徹な思考がそこにはあります。
たとえば、こんな例はいかがでしょう。私達の住むセカイの神は、
「生き物同士が殺しあうことは許可するが、ヒトと猿の間に子ができることは許可しない」
ということを徹底的にルール化しています。
私達の通常の感覚からすれば、ヒトとネコの間に子ができることよりも、「ヒトが殺しあうこと」のほうがより重要で、ダメなことのように感じます。
しかし、神は殺し合いを許すのに、ヒトとネコのこどもは許さないし、ヒトと犬もダメだし、ヒトと猿の間ですら、子を作ることを許さないのです。
神は、このように「善悪、やっていいこととダメなこと」の基準が、ヒトが思っているのとは随分ズレている存在だということかもしれません。
しかし、神の定めたこのルールブックは、とても厳格で厳密で、破られることがありません。
わたしは、この絶対的なルールを作った神を「とても面白い存在だなあ」と思っています。
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橘さんの著作は、これと同じように
「人類にとっては、異種間生殖よりも殺人のほうが、はるかに安易に許されている」
という証拠、エビデンスをつきつけますので、「人を殺すのなんてダメだわ!」と感情的になる人には、向いていません。
そう!目を背けたくなるような、データがつきつけられる、ということなのです。
さて、いよいよ今日の話の本題です。
橘さんの新作である『人生は攻略できる』のあとがきが、出版社の許可を得て公開されていますが、実はここに
「毒親持ちと宗教2世が幸せになる方法」
がズバリ書かれていました。なので、私もぜひ紹介したいと思ったのです。
しかし、橘さんの本ですから、目を背けたい人には、冷徹で不寛容に感じられる表現も多々あります。でも同時に、それには証拠もある、ということも覚えておいてほしい事柄です。
幸福に生きるためのヒント (人生は攻略できる) 橘玲
https://www.tachibana-akira.com/2019/03/11519
詳細はリンク先を参照ください。ここでは簡単にまとめます。
A
◆ 人間には幸福度が一定になるような反発力がある。
◆ なので不幸になった人も、ある程度期間が過ぎれば幸福感を取り戻せる。
◆ 逆に、幸福になった人も、やがて幸福感を感じなくなる。
→ 人は幸福の水準を持っていて、それは何があっても変わらない。
B
◆ 人間には100倍の法則がある。
◆ やったことは100分の1にしか感じず、やられたことは100倍に感じられるというもの。
◆ 加害と被害にはその受け止め方の非対称性があるので、だからセカイには紛争が絶えない。
→ 何か困ったことがあれば友達に相談したり、場所や環境を変えるなど「客観的な視点」を取り入れて考え直してみよう。
いくつかの話の中に出てくる、AとBの二つの話が、毒親持ちと宗教2世に関わる部分です。
まずはAについて。
毒親持ちと宗教2世は、生まれた時からそれぞれの親や特殊な環境で育っているため
「幸福の水準」がすでに定まっている
ことがほとんどです。 だから、外の社会に飛び出したり、親の支配を離れて新しい生活をしようと思っても、すぐにはいわゆる
「ほかの人たちの言う幸せ」
がよくわからないし、それに向かって頑張るということもよくわからないままで過ごします。
だから社会とのズレを抱えたままで、幸せになるということそのものが、いまいち理解できないまま悶々と日々を過ごしているのではないでしょうか?
そしてBです。
毒親持ちと宗教2世は、親から受けた被害や「してもらえなかったこと・されたこと」を100倍に過大評価します。
ですから、他者と話をしても「それくらいのこと!」と簡単に受け流されて、たいへんに苦しかったり悔しい思いをしますが、それは
永遠に他者には理解してもらえません。なんせ100倍に倍増しているから
です。
この「自分は理解してもらえない」とか「他人にはどうせわからない」とか「宗教2世以外には理解されない」といった感覚を持ち続けると、それは身を滅ぼすということです。
その感覚が、100倍に膨れ上がっているかもしれないと、まずは冷静になること
から始めないと、永遠にあなたは理解されず、永遠に幸せなんてやってこないことになるのです。
これはとても恐ろしいことです。
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AとBはものすごくみなさんには都合の悪い話だと思います。
自分は大変な目に遭った!
と誰もが思っているし、
そもそも知っている幸せのレベルが低い
と言われたら憤慨してしまうことでしょう。
しかし、実際に結果的に幸せになる人、幸せを掴む人というのは、そんな過去を笑い飛ばし、新しい幸せの基準を手に入れていることになります。
このギャップを埋めるのは、正直しんどいことだと私も同感します。
しかし、橘さんの文章をよく読むと、いくつかの解決法も提示されていることがわかります。その解決法は
◆ 出来事の体験を積み上げる。印象的な体験をたくさん積み上げることで、脳は美化された記憶をたくさん作り出す。
◆ ちょっとぐらい嫌な体験でも、それも復元力によって美化されるので、恐れず体験を増やす。
ことがその一つ目です。
二つ目は、
◆ 物理的な場所を離す。(旅に出る、引っ越す、親から離れる)
◆ 客観的で、利害関係のない友人などに相談する。(おなじ境遇の人と相談する場合は、被害感情が増幅する恐れがあることを理解しておく)
ということです。
毒親育ちや宗教2世が、このセカイで幸せに暮らしている人は、これらがきちんと身についていることが多いように感じます。
繰り返しますが、大切なのは
「新しい体験、新しい経験をどんどん外に出てやってみること」
「自分の過去の体験をそれは他人にとっては(あるいは自分にとっても)100分の1程度のことだった、と過大評価しないようにすること」
の2つです。
ご参考になさってください。
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