2017年7月1日土曜日

カルトなどの宗教を脱した人のための「新しい歩き方」 エホバの証人を辞めたあなたへ




 エホバの証人に限らず、カルトなどの「洗脳的支配」から脱した人には、どのようなプロセスを経て立ち直ることができるのでしょうか。



 これが、正解、というものではありませんが、ある一定の道筋のようなものはあってもよいかもしれません。



 そこで、私がネット界隈で遭遇した辞めJさんたちの言動や生き方をほわっと丸めながら、その歩き方をまとめてみましたのでご参考に。



(一度、ツイッターで呟いた内容の補足です)




 このプロセスは、以下のような流れになります。





■ 過去の振り返りや毒吐き

■ 聖書について真実を知る

■ 霊的にいっぺん死んでゼロになる

■ 創造主を自分なりに納得レベルへ落とし込む

■ 自分が存在する意義の再構築

■ この世で生き抜く具体的方法を身につける


などなど。





■1 過去の振り返りや毒吐き


 毒親的な1世親に育てられた2世の方や、あるいは会衆内でなんらかのトラブルに巻き込まれた方、または排斥に逢った方などは、


「自分が不遇な立場にあったり、ぶっちゃけ酷い目にあった」


ということを、ある程度外に放出することは、適していると考えます。


 それを黙って溜め込んだり、なかったことにする必要はありません。外へ出すことで「似た境遇の人の理解や共感を得る」ことができたり、自分の中で「言葉にして処理する」ことができるのであれば、それは有効な作業です。


 しかし、毒吐きは「相手や外部を悪くいうことによって、相対的に自分が善であったり、正義へ変わる」という効果と、同時に罠を生じさせます。



 毒吐きや文句を言うこと、誰かをののしることは「最初だけ許される小さなステップ」だと考えましょう。


 いつまでも毒吐きに終始することは、あなた自身もその毒の罠に陥ってしまうからです。






 ■2 聖書について真実を知る



 聖書に限らず、カルト的信仰が、「外部からどのように見られていたり、客観的事実に基づくと、実はどうだったのか」を確認する作業は大事です。


 信者は、教え込まれた教義のみを見ていますから、それ以外の視点があることで、より真実に近づくことができるのです。


 幸いなことに、聖書に対する学術的な検証や、聖書学としての見地から書かれた資料は、インターネットで多数得ることができます。


 どんな小さな質問でも、たとえばツイッターで投げかければ、答えてくれたり、その典拠を教えてくれる先輩もいることでしょう。



 この作業で大切なのは、「教義から離れる」という感覚です。 自分ではわかっていても、教義にしばられてしまうことは多々あります。


 「これがいけないことなのではないか?」と感じてしまったり、「そうはいっても、自分からは望まないことはできかねる」と思ったりすることは長く続きます。


 それが本当に聖書に由来するのか、立ち止まってみることは有効です。





■3 霊的にいっぺん死んでゼロになる


  私はこの作業を「もういちど逆バプテスマを受けてみること」と呼んでいます。


 一度死んで神に身を捧げたのとおなじことをやりましょう。


 組織や教義に属していたあなたは「一度死んで、まっさらな状態でもういちどこの世界に返ってくる」のです。


 あるいは、「何もないまっしろな世界に、生まれ落ちた状態」を作ってもよいです。


 それは若い人だけでなく、中年でも老人でもおなじです。もう一度まっさらになる、これが大事です。


 歳を取っていると、「組織に属していた年月が無駄になる」とか「その時間を損した」とか「いまさら、こちらの世界で出来ることは少ない」と考えがちですが、違います。



 そうではなく、「あなたには、この世界で生き生きと生きるチャンスを、たった今これから未来に向かって与えられたのだ」と感じてほしいのです。


 これは、ちょっと苦笑しながら書きますが、「エホバからのギフト」です(笑)


 まるで地上に生まれたアダムのように、「まっさら」なのですから、すべての経験は「ドキドキワクワクする良いもの」であるのです。





■4 創造主を自分なりに納得レベルへ落とし込む


 エホバの証人を辞めても「この複雑な宇宙や世界が、勝手にできたとは思えない」と感じることは多々あります。


 あるいは、「エホバという名前や性格とは異なっても、なんらかの創造主がいるのではないか」と思うことは当然です。


 ネット界隈の辞めJさんたちは、それぞれの感性でこの問いへの答えを持っています。


 これも、「何が正解」というわけではありませんが、神は存在していたとしても、あなたに厳しい何かをつきつけたりはしない、という感覚を持つことは安らぎとなるでしょう。


 ある先輩は 「神は、人類に干渉しないのだろう」という考えで納得しています。

 またある人は、「神は、人類だけでなく、他の被造物にも平等なのだから、人だけに何か関わってはこない。あるいはその分おなじことを他の被造物にもするはずだ」と考えます。

 あるいは、「神様は、ある種のゲームを楽しんでいる」と考える人もいるし、「箱庭をただ眺めている」と考える人もいるでしょう。


 それらの考えに共通なのは、


 「全知全能の創造主が、人などのちっぽけな行動にとやかくいうのは変だ」


ということです。それは神というより、いかにも人間らしい性格を持たされた、聖書の単なる記述なのかもしれません。






 ■5 自分が存在する意義の再構築


  第4段階くらいまでは、比較的楽に達成するのですが、5段階目くらいから苦しむ人は多いと思います。


 組織や教義によって作り上げられた自分は死んだ、としても、では新しい自分をどのように見つければいいのでしょうか。



 これは、一人では少し難しい作業です。


 多くの辞めJさんたちは、「夫や妻などのパートナーとの支えあい」の中で、新しい生活を再構築なさっている方が多いと感じます。


 
 相手がJW経験者であれ、あるいは世の人であれ、こちらの世界で新しい暮らしを作ってゆくというのは、誰かの助けがほしいところです。


 逆に、自分の家族が組織に残っている場合、ここでかなりヤラれます。


 自分は離れていても、家族の存在意義は組織や教義で構成されているので、分断されてしまうことで「自分の立ち位置まで引き裂かれてしまう」ように感じるのです。


 これをたった一人で戦うのは、かなり苦しいことと言わざるをえません。



 そこで、この点で苦しんでいる人がいれば、先輩である私や、あるいは辞めJさんである程度自分を確立なさっている人の手助けを得てほしいと思います。


 私は個人的には、この段階にいる方を応援します。



 「あなたは愛されるべき存在だよ」と口でいうのは簡単ですが、実の親からプレッシャーをかけられたりすれば、他人の発言より親の発言の方が重くなるのは当たり前です。



 じゃあ、救われないじゃん!と短絡的に落ち込まずに、ここからしっかり再スタートしてほしいのです。


 家族は敵のように感じられるかもしれませんが、あなたにはかならず味方がいると思ってください。







■ この世で生き抜く具体的方法を身につける


  こちらの世界で生きていくには、「お金」も必要だし、「仕事」も必要です。社会的な意味での「立場」のようなもの(べつに偉くなる必要はないですが、資格であったり、ポジションであったり)も必要になってくるでしょう。



 これは、理念ではなく具体的なノウハウを身につけることが大事です。



 時間や手間がかかるかもしれませんが、中高生が卒業して大人へなってゆくプロセスを、もう一度やり直す必要があるでしょう。


 特に若くして奉仕活動へ入ってしまった方は、本当にこの世での「学び」をやり直さなくてはならない場合が出てきます。


(まあ、やり直すと言っても、そもそもそれを避けて歩いてきているはずなので、ただこの世の人とおなじ通過儀礼を通るだけなんですが(^^;;)







 長々と書きました。それぞれの実情や状況に応じて、自分にとってはどうか考えていただければ、少し楽になるかと思います。



 エホバの証人を辞めることは、「カナンの地を求めて、モーセのグループとは離れて一人で歩き出すこと」になる険しい道のりを意味する場合だってあります。


  それは恐ろしいことのように感じられるかもしれませんが、実は先輩たちはたくさんいますので、彼らの言葉やヒントを羅針盤にしながら、歩き始めてほしいと思います。




 







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