2017年4月12日水曜日
”エホバの証人”の2世女子の生き方は、2つしかない。 ~その絶望と苦悩~
ネット界隈では、エホバの証人の2世のうち、心に大きな悩みを持っていたり、生き方を苦悩している
2世女子
がやたらと多いことが目につきます。もちろん、男子にも、組織や教義に対して、いろいろと思うところのある人はいるのでしょうが、少なくともブログやtwitterなどで、
「不安や悩みを公言している人」
というのは圧倒的に女性が多いのです。
彼女たちは、個人的に自分の身の回りのことを話したり、つぶやいたりしているだけですが、その
根っこの部分、根源的な悩みの本質は、かなりの部分全員同じ
です。
そのテーマは2つあります。
一つ目の悩みのテーマは、
『母親との関係。母娘の関係のあり方を巡る苦しみ』
です。これについては、また別に書きたいと思います。
そして、二つ目のテーマも、深刻です。それは
『自身の未来の生き方、2世女子としての人生を巡る苦しみ』
に他なりません。
どういうことか。
おなじ女性でも1世の人はまだ救われます。
愛してくれない夫、無関心な夫がいても自分は信仰で救われ、よそに居場所が見つかるからです。
同じような境遇の女性の仲間と、傷みを分かち合い、互いに「励まし合い」ながら、活動ができるからです。
しかし、2世女子は違います。
同世代を見回すと、経済力のないマザコン2世男子しか転がっておらず、将来そいつと二人で奉仕に全てを捧げる未来しか想像出来ないときに、
苦悩と絶望
に苛(さいな)まされるのです。
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エホバの証人の2世女子には、
■ 自分がひとりぼっちで奉仕活動に一生を捧げるか
■ 経済力と社会的立場のない2世の夫と人生を組織に捧げるか
の2択しかありません。
そして、それが母親の言うところの
幸福
なのだそうで、その幸福を受け入れることが幸福なんだと自分に言い聞かせている最中です。
だから、多くの2世女子は、その話の「なんとなく、受け入れがたい怪しい感じ」にもやもやして、不安定になるのです。
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もっとやわらかく言えば、こういうことです。
1世女子は、夫に愛されなくとも神の愛を実感できるならそれで充たされるかもしれないが、
2世女子にとって神の愛や加護とは、
「あたしを心から愛してくれる人との出会いを与えてくれること」
であって、
「神の方を向いていてあたしを見ていない人を、夫としてあてがわれること」
ではないのです。
それくらいなら、一人で生きていかざるを得ない、ということで、それは、
「永遠に女性としては充たされない」
ことを暗に意味します。
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この世の女性であれば、そこで「ああ、じゃあ私は仕事に生きるわ」とキャリアウーマンへの道へ転進することもできるでしょう。
しかし、エホバの証人である限り、いくら奉仕活動に人生のすべてを注いでも、(神からは認められるかもしれませんが)、残念ながら組織には認めてもらえません。
なぜか。
ここで、ズバリ恐ろしいことを言います。
ここまで読んでしまった2世女子は、心を撃ち抜かれることでしょう。
ええ、そうです。2世女子がエホバの証人として全力を注いでも、認められない理由。
それは、エホバの証人とは、「男尊女卑」の組織だからです。
・・・・・・うすうすは気付いていても、ここまではっきり書くとショックでしょうね。
長老になるのは男です。
妻は夫に従うべきです。
聖書にも、男尊女卑の思想が貫かれています。
だったら、それに気付いてしまった女子は泣くしかないでしょう。
嗚咽するしかないじゃないですか。
私は、その絶望からあなたを救いたいと思います。
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