2018年9月12日水曜日

宗教1世と宗教2世が見ている光景の違い ~毒親にもあてはまるかも~




 ツイッターというSNSは便利ではあるものの、タイムラインに従ってそのネタは流れていってしまうために、長期に渡っての考察を深めるにはあまり向いていないという側面があります。



 そのため、ある程度まとまった内容についてのお話は、ブログに記録として残して置くようにしようと思っているのですが、まあうまく行かないときもあります。




 さて、今回は、先日ツイッター上で反響が大きかった話をまとめてみます。ツイートをご覧になった方については既出でしょう。



ちなみに、私のツイートは

https://twitter.com/mukogawa_sanpo


に転がっています。





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『宗教1世と宗教2世とでは見えている世界が全然ちがうということがわかった。

 1世は「なぜこの世界がこうなのか」を問いかけ、救いを教義に求めていて、 2世は「なぜうちの親はこうなのか」に絶望して救いがない ということらしい。』




『毒親問題もそうだが、親も子も完璧ではなく弱かったり、誤ったりする中で、家族という枠組み以外に子供を支えるシステムができないもんかと思う。 

家族枠に全ての完全なる庇護を求めるのは無理ではないのか? 大家族制度のほうがマシか?』




『そうか。 エホバの証人2世は 簡単に言えば 愛着障害 を起こしているのね。』




『かなり反響があって驚いているツイートだが、ぶっちゃけて言えば「なぜうちの親はこうなのか」という答えは、信仰によって強化されちゃったから、なので、元に戻すのは容易ではないし、本人たちは望んでそうなっているのだ。 だとすれば、2世にできるのは「親から離れること」しかない。』




『よく考えると、JW2世がJW1世と精神的に戦っているとして、2世は「親の無償の愛が欲しいんだぜ!」と願っていても、1世は「神の無償の愛をもらってるぜ!」と思ってるんだから、勝てるわけないわな。 むこうは満足していて、こっちは不満足なんだから、この戦いは不利だ。』




『きっと1世である親自身が「愛してほしいぜ!」とか「受け止めてほしいぜ!」と思っていたから宗教に依存するわけで、やってることは親子で同じなのかもしれない。 となると2世にできるのは「この世、この世界のすばらしさ」を実感することしかないんだけれど、それは親には頼れない。』



 
『この構図から導き出されるのは、1対1の関係ではすでに負けているということだと思う。 1世親は「愛してほしいぜ!」の心のスキマを宗教によって埋めちゃったわけでそれを失うのはとても怖いことなのだから。 2世はどうがんばっても勝てない。一人では。そこから抜け出すには仲間が必要。』


 
『すべての宗教2世の諸君。一人で戦ったら負けるぞー。あなたの家庭内のハナシとして内側に閉じた世界で生きてると、確実に死ぬぞー。 少なくとも、勝機をつかむには「外界とつながっていること」「仲間を見つけること」が最初のスタートだぞー。』


 
『こんなことを書くと絶望する人が続出するので救いを書いておくと、「信仰」に勝るのはいつも「事実」しかないということだ。 事実の前には、かならず信仰が揺らぐ瞬間がある。 その一瞬があなたをきっと救うだろう。』




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 幸いなことに、私自身は親の信仰とは関係なく、勝手に王国会館へ行くのをやめたので、いわゆる1世に対する気持ちというのはとても冷静で、ただ単に「信念が違う人」というくくりでそのポジションに置いているため、感情が乱されることはまったくないのですが、



 ふつうの親子関係だと、いわゆる教義や信仰に「親子の情愛を人質にされている」状態



になる家庭があることも理解できます。



 2世が社会人になるまでは、経済的な側面でも、自分の衣食住まで人質に取られているから、ただ単に家を脱出する、というのも難しいでしょう。




(これは毒親家庭も同じ)



 実際には、とある北の国から脱北するのとおなじくらいの難易度のミッションになるだろうとは思います。




 しかし、特に日本の行政システムでは、家庭に最大の権限があるため、外部の人間が、該当2世の側に立って活動しようとしても、その権限は1世親に到底及ばないのです。



「うちの親が毒親なんです!」


という主張も、肉体的な虐待があれば一時的には避難できる行政サービスはありますが、



「心理的虐待」





「信仰的強要」


については、完全に「民事不介入」だし、仮にとある心ある人物が2世の脱出に手を貸すような場面があれば、誘拐として認定されることは疑いありません。




 となると、最終的には、



肉体的、精神的な脱出・自立は、実質的にあなた1人で実行せねばならない



ということになります。これは残念ながら事実です。




 諸事情で、私個人は、これまで弟子を2人ばかり抱えて居候させたこともありますが、それはどちらも20歳を過ぎた成人になっていたので、親とは引き離れても「個人の意思」で武庫川道場(どこやねん笑)に出家できたのです。しかし、これまた残念ながら10代の人間については、私は何もできません。


 (ましてや、そういう2世の改宗サービスはありません)





 うーん。この問題は根が深いので、すぐ解決とはいかないようです。


 

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