2017年3月30日木曜日
なぜ母はエホバの証人にのめりこみ、その娘は苦しむのか?
これまでは主に、エホバの証人を辞めた人を想定しながら文章を書いていましたが、今回は少し目線を変えて
エホバの証人の現役の方、そして二世の人、特に女子
を仮想的な読者としながら書いてみたいと思います。
その前に、私のことについて簡単に説明しておきましょう。
この文章の書き手は、もうずいぶん昔に、エホバの証人の2世として活動していました。まず母親が入信し、そののちに父親が入信、両親ともにバプテスマを受けていましたが、私はその後、両親より先にこどもの立場ながら離反しました。
私は、バプテスマも受けず、研究生のような立場でもありませんでしたの、ただ純粋に、いわゆる2世として生きてきたことになります。
さて、その後、彼らの言葉でいうところの「世の人」として生きたわけですが、 大学へ進学し、高等学校の教師となり、今度は世の人たちの中にある「子供たち」と接することが多くなったわけです。
(現在では教師の仕事はしておらず、全く別の業界で管理職をしています)
教師の仕事をしていると、問題や悩みを抱えた生徒と多数向き合うことになります。実際に臨床的な現場で、そうした子供たちとバトルを繰り広げてきたのですが、今その職場を去って、
エホバの証人の2世として育てられた子供たち
の吐露・つぶやきをネットなどで見ていると、
■ 毒親と言われるような親に育てられてメンタルをやられている子供たちや
■ 家族のあり方、成り立ちの上で何らかの欠損や欠落を感じている子供たちや
■ 進路・自立・就職・進学・経済的生活の上で、制限や困難を感じている子供たちや
■ 親の無理解や愛着に関わるような問題を抱えている子供たち
が、2世の子供たちの現状・姿とかなりの部分オーバーラップしていることが判明してきたのです。
男子は、内側にこもるのであまりSNSなどでも語りたがりませんが、特に2世女子の感情が爆発したときの暴言・投げやり・攻撃性などは、
いわゆる家庭に問題があってグレている女子たち
とそっくりです。
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これらの事象を、単純に
「愛着障害」「母子分離不安」「規律と体罰による精神不安」「二重規律(アンビバレント)による不安」など
と分類するのは簡単ですが、実際には複雑にそれらの要素が絡み合ったり、
「世の人である父」と「信者である母」の間に挟まれた擬似的な父性の欠損
など、宗教の教義にも関わるいくつかの要素が加わったりしながら、2世女子たちの心のざわめきが形成されてゆくものと考えられます。
エホバの証人になる信者の特徴は、圧倒的に「母」・「妻」という女性から入信することが多い、ということが挙げられます。
男性が単独で入信することが少なく、女性が魅力を感じ、そしてその娘達が葛藤を抱えるという構造は、何かしら
「原因、理由、システム上の意味」(教義との親和性)
があるのではないかと疑わざるを得ません。(それについて正面から解読した臨床データはないと思いますが)
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細かいことは、個別の事例などが異なるので、ここでは逐一詳しく述べることもできませんが、ざっくりと定義するならば、
<エホバの証人と女性信者は、なぜ親和性が高いのか>
という隠れた事実があるならば、そこには以下のようなポイントがありそうです。
■ エホバの証人の教義の核となるのは「選民思想」であり、現実的には抑圧や放置・無関心などの境遇に置かれた女性たち(主に妻たちなど)が、「あなたは愛されている」という感覚を得ること。
■ その「愛情の伝達」が男性ではなく、女性たち同士で行われることによる、性的なダメージの少なさ(男性から与えられるものだと、性愛に結びつくから)
■ 選民意識と仲間意識をベースにした「愛される被造物としてどうあるべきか」という女性同士の、一周回って相互に対しての「マウンティング」の変化形・相互監視空間
■ 女性たち同士で行われるゆえに生じる「母娘間での関係性のゆらぎやねじれ」
(親子という支配・被支配の関係が、母のポジションに影響を及ぼすこと)
※こうした女性同士での関係性の構築やマウンティングは、アムウェイや一部の化粧品会社などの「女性型ネットワークビジネス」との類似性が想起されます。
世の人としての事例でいえば、つまり学校教育におけるグレた女生徒の問題を突き詰めると、特に母子関係の不安定さに原因があるものが多々あることがわかっています。
これをエホバの証人の内部における母子関係に見立てると、ここにも同じような母子関係の不安定さが隠れていることがわかります。
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とまあ、ここまで色々述べてきましたが、解決策は構築できそうな気がするんですよね~。
アムウェイにのめり込む母、そのものは目を覚まさせるのは難しいかもしれませんが、娘をよい方向へサポートするくらいは、通常の学校教育の手法でも応用できる気がしています。
このあたりはまた書きます。
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